山王塚古墳の説明会に多数参加
3月9日、山王塚古墳発掘調査現地説明会には、午前・午後合わせて約260名が参加しました。この日は、川越市文化財保護課の課長はじめ職員5名体制で山王塚古墳の造られた時代背景や全体の概要を説明したあと、実際に発掘調査の現場を巡りながら成果を報告しました。
渡来人の移住
山王塚古墳のつくられた時代は7世紀ころ、古墳時代(3〜7世紀)の終末期といわれています。当時の日本は律令国家の建設にむけ中央集権が強まり武蔵国への渡来人の移住や716年には高麗郡が設置されます。こうした激動の時代に山王塚古墳は造られました。
全国でも一番大きな上円下方墳
今確認されている古墳は16万基以上ありますがその9割が円墳で上円下方墳は、10基程度しかありません。全国で有名なのは奈良県明日香村の石舞台古墳ですが墳丘の土が失われて石室がむき出しになっています。その他に奈良市の石のカラト古墳や府中市の熊野神社古墳などがあります。どれも同じ上円下方墳ですがその中でも山王塚古墳は下方部が63m、上円径が47mと全国でも一番大きいものになります。
被葬者の人物は?
今回の調査は墳形と墳丘の構造を調べるためのもので、古墳築造時の地表面と下方部築造の盛土層、上円部の盛土層が確認され間違いなく上円下方墳であることが確認されました。石室部分は未調査ですが下方部盛土中に長瀞の緑泥片岩の破片が多く含まれていることから石室の構造に使用されたときの一部とみられます。なぜこの地に建設されたのか、被葬者はどのような人物なのか注目されます。
参加者からは、「ここが貴重な古墳とは知らなかった」「また、説明会を開いてほしい」などの声が寄せられました。